2022暮れ日記

 何気なくテレビのスイッチを入れると黒柳徹子が出ていた。長くマルチに活躍されているが、その声を始めて聞いたのは昭和30年代のNHKラジオの連続ドラマ「一丁目一番地」だったように思う。暫くして我が家にもテレビがはいりNHKの当時の人気ドラマ「若い季節」で初めて彼女の顔を見た。以来ファンの一人である。

 本題に戻ろう。1957年の紅白歌合戦の紅組の司会が黒柳徹子だった。その時私は10歳。我家にテレビは無く懇意にしている自転車屋のおばさんから紅白を一緒に観ようというお誘いがあり私は祖母とお邪魔した。勿論白黒の時代、初めて観る黒柳徹子の顔と

テレビで観る黄白がとても印象的だった。60年以上も昔のことになる。

 

 

湯豆腐

 今夜の晩酌のつまみは「湯豆腐」。子どもの頃から湯豆腐が好きで自分で作ったりもした。さすがに酒は飲まなかったが・・・。

 今夜も妻と話題になったが、大学時代の友人H君が交際していた彼女のアパートと私のアパートが近くだったので、彼は彼女に逢った帰り私のアパートに寄りそのまま泊まることも多かった。時には、私が朝起きると隣でH君が寝ていることもあった。遅くなっても彼女のアパートに泊まることがなかったことはいまだに感心する。二人はその後結婚した。同級生では一番早い結婚だった。

 湯豆腐の話に戻る。ある時、彼と彼女のアパートで夕食をご馳走になった。三人で食べたのが湯豆腐。鍋に豆腐を入れ、普通の醬油をかけただけだったがとても美味しく忘れられない。もう、50年も昔の話だ。

 

我家の猫物語

我家の猫物語

「アン、ミク、ハヅキ」の3兄弟。全て男の子。もう10年前のことになる。

国道をはさんで直線にして50Mあまりの場所から母猫が一匹ずつ咥えて我が家に運んできた。

母猫は自分の命が長く無いことを分かっていたのかもしれない。妻が子猫を運び終え安心した表情の母猫を見たのが最後だったという。妻が買い物から帰ると最後に見た場所で3匹の無邪気に遊ぶ子猫とこと切れた母猫がいた。妻は、母猫がこの家なら飼ってくれるだろうと連れてきた母猫の想いをどうしても無下にできず三匹の猫は我が家の猫となった。

三匹のうち、ミヅキは娘の職場の同僚が飼ってくれることになったが、アンとミクは我家の家族になった。アン、ミクはオス同士ということもあり、その時期には本性をむきだしにして取っ組み合いをすることもあったが、普段はお互いをなめ合うなど認めあい仲が良かった。

穏やかな年月が過ぎた。

2~3日前からアンの体調が急に悪くなった。食べ物を寄せ付けずみるみる瘦せていった。ミクは異変を感じているらしく落ち着かない。体力が落ち起きあがれなくなったアンをミクは必死に起こそうとしたが目を開けることはなかった。

それから3日、アンは旅立った。ミクはとうとう一人ぼっちになった。

私と妻はアンの亡骸を綺麗な箱に納めてシュウメイギクを一輪供え葬った。

ヨウシュヤマゴボウ

 10月1日の記事に書いた荒れた畑の除草が続いている。妻と二人で午前中の2時間余りを作業の時間に当てている。刈り払い機で私が草を刈り妻がそれを集める。少しづつだがきれいになりやっと半分まで終わった。前回登場の「鬼灯」は数えてみると約10本が

見事に真っ赤な実をつけていた。妻からは 「来年も実をつけるように」 とそこだけ

残すように指示された。

 ところで、先日テレビで「ヨウシュ ヤマゴボウ」という毒性の実のなる植物が紹介されたのをたまたまテレビで見ていたが、作業中の畑にもたくさんあることが分かった。作業中の中でも新たな発見があるものだ。

歌壇 俳壇

 新聞の投稿コーナー、歌壇 俳壇を楽しみに見ている。そして、限られた短い言葉の中で人の心の動き、自然の美しさ、情景をものの見事に表現していることに驚かされる。読めない漢字や、意味が分からない言葉は辞書で調べるようにしている。面倒だが私には面白い作業だ。

歌謡番組

  最近よくTVの歌謡番組を観ている。特に「ナツメロ」は自分が生きてきた時代とオーバーラップして恥ずかしながら涙を流したりする。

 上京した当時流行っていたのは「東京の灯よいつまでも」。雨の外苑、夜霧の渋谷・・・・そこにいる自分が映画の主人公になったような気分になりちょっと粋がったものだ。ビートルズが来日したのは大学2年の時。その日山手線がやたら混んでいたのを思い出す。

 人生の残り時間が少なくなると昔がとても懐かしくなるというがそういうことだと思う。でもそんな時間が嫌いでない。忘れていた記憶が突然蘇るのが面白い。

十三夜の月

 十三夜の月が綺麗です。それに寄り添うような木星の輝きも見事です。九月の十五夜の月も、今夜の十三夜の月も観ることが出来てとても満足です。きっと昔の人も同じような思いで月や星を仰いで願いや思いを託したのだと思います。

 そう言えば、清少納言は「星はスバルが一番素敵」と言ったとか。私は子どもの頃あのきらきら光る星の集まりは何?と思ったものでした。スバルと知ったのはずっと後のことです。清少納言がとても身近に感じた瞬間でした。