今日は、芋名月のひと月後に訪れる「栗名月」である。子どもの頃から祖母に「芋名月」と「栗名月」で一対なので、どちらもお祝いしないといけないと教えられた。少し雲がでてきているので名月が観られるかどうか心配だが先程ススキを用意し、その近くにあった野の花と花瓶に挿した。団子と我家の柿が今夜のお供え物である。
清少納言は枕草子の中で「星は昴がいちばんきれい」と書いている。谷村新司も向こうの世界で時空を超えて今夜の月を眺めるのだろうと思う。
歌謡番組でアダモの「雪が降る」を聴いた。当時、12月になるとアダモのコンサートがあり、何年か続けてNHKホールまで出かけた。東京のコンサートに行くので服装もそれなりに気を使った。紺のダブルのジャケット、紺のトレンチコート、当時流行っていたアンクルシューズ・・・・でも 今考えると田舎まる出し(^_^)
今回、アダモをパソコンで検索してみた。79歳、私とほぼ同年齢。イタリアの伊達男も歳をとったろう。
でも、いつまでも歌っていてもらいたいと思った。
昨夜は、仲秋の名月。子どもの頃、お月見の夜は特別に子ども達だけで出て歩くことが許された。所謂「月見泥棒」だが、近所の家もお供え物を狙って子ども達が来ることを心得ていて、盗み?やすいようにしておいてくれた。子ども達はそんな大人の配慮を知らないで「うまくいった」などと喜んで年一回の夜の遊びを楽しんだものだ。
我が家では、今年も例年にならってお月見のお供えをした。昔のように子ども達の歓声が聞こえないことがさびしくもある。
我が家の周りは典型的な田舎の風景が広がる。秋の取り入れが済んだ田圃はひつじ田となった。先日は田の管理一切をお願いしている方から新米が届いた。
毎年繰り返される変哲もない季節の移ろいが、老人となった私には今の季節特に物悲しさを感じる。
そんな時、思い出すのが祖母と過ごした幼き日のことだ。明治生まれの祖母は気丈な人だった。そして何でも知っていた。今考えると科学的な根拠は無いと考えるが、地震があると今の時間の地震はこれから「風」とか「雨」とかよく天気を読んでいた。それは、子どもながらに良く当たっていたようにも感じた。
今でも家族に話して笑われるが、アブは「ボーン?」と飛んでくるので「お盆」まで、蚊は「ヒガーン」と飛ぶので「お彼岸」まで・・・・今年はお彼岸でも我が家はやぶ蚊が元気だがほぼ当たっていると思う。
家庭菜園を楽しんでいる義妹が「菜花」を持ってきてくれました。妻は季節の香りがする野菜が好きで大喜びです。でも、この「春のお使い」すぐに食べるのはもったいないということになり、台所に花瓶にいれ飾っておくことにしました。