栗名月に思う

 今日は、芋名月のひと月後に訪れる「栗名月」である。子どもの頃から祖母に「芋名月」と「栗名月」で一対なので、どちらもお祝いしないといけないと教えられた。少し雲がでてきているので名月が観られるかどうか心配だが先程ススキを用意し、その近くにあった野の花と花瓶に挿した。団子と我家の柿が今夜のお供え物である。

 清少納言枕草子の中で「星は昴がいちばんきれい」と書いている。谷村新司も向こうの世界で時空を超えて今夜の月を眺めるのだろうと思う。

 久しぶりに「雪が降る」を聴いた

  歌謡番組でアダモの「雪が降る」を聴いた。当時、12月になるとアダモのコンサートがあり、何年か続けてNHKホールまで出かけた。東京のコンサートに行くので服装もそれなりに気を使った。紺のダブルのジャケット、紺のトレンチコート、当時流行っていたアンクルシューズ・・・・でも 今考えると田舎まる出し(^_^)

 今回、アダモをパソコンで検索してみた。79歳、私とほぼ同年齢。イタリアの伊達男も歳をとったろう。

 でも、いつまでも歌っていてもらいたいと思った。

 

アラちゃんと柿の実

  娘の保育所卒園記念にいただいた「柿の苗」。父が狭い我家の庭の一番良い場所に植えてくれた。それから40年・・・・木はだんだん太くなり枝も伸び実もつけるがほとんどが途中で落ちてしまい食べるには至らなかった。

 しかし昨年から、立派な実がなり、落果もなく見事な秋の景色の一部を作り出すようになった。ところが昨年はいざ食べようとした矢先、よく姿を見せていた「アラちゃん」がしっかり全部味見をしてくれ食べられなかった。

 今年も立派な柿が稔った。そういえば、最近アラちゃんの姿は全く見かけない。食べ物に困っていないか、冬を前にしてとても心配だ。


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お月見の思い出

 昨夜は、仲秋の名月。子どもの頃、お月見の夜は特別に子ども達だけで出て歩くことが許された。所謂「月見泥棒」だが、近所の家もお供え物を狙って子ども達が来ることを心得ていて、盗み?やすいようにしておいてくれた。子ども達はそんな大人の配慮を知らないで「うまくいった」などと喜んで年一回の夜の遊びを楽しんだものだ。

 我が家では、今年も例年にならってお月見のお供えをした。昔のように子ども達の歓声が聞こえないことがさびしくもある。

 


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祖母から教えてもらったこと

 我が家の周りは典型的な田舎の風景が広がる。秋の取り入れが済んだ田圃ひつじ田となった。先日は田の管理一切をお願いしている方から新米が届いた。

 毎年繰り返される変哲もない季節の移ろいが、老人となった私には今の季節特に物悲しさを感じる。

 そんな時、思い出すのが祖母と過ごした幼き日のことだ。明治生まれの祖母は気丈な人だった。そして何でも知っていた。今考えると科学的な根拠は無いと考えるが、地震があると今の時間の地震はこれから「風」とか「雨」とかよく天気を読んでいた。それは、子どもながらに良く当たっていたようにも感じた。

 今でも家族に話して笑われるが、アブは「ボーン?」と飛んでくるので「お盆」まで、蚊は「ヒガーン」と飛ぶので「お彼岸」まで・・・・今年はお彼岸でも我が家はやぶ蚊が元気だがほぼ当たっていると思う。



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食べるのが惜しい。

  家庭菜園を楽しんでいる義妹が「菜花」を持ってきてくれました。妻は季節の香りがする野菜が好きで大喜びです。でも、この「春のお使い」すぐに食べるのはもったいないということになり、台所に花瓶にいれ飾っておくことにしました。

箱根駅伝

 駒大が箱根に初出場したのが1967年。当時私は大学3年生、箱根初出場を祝うたて看板が体育館の前に立てられていた記憶がある。あまり関心がなかった私はその時の結果がどうだったかもわからない。以来、57年連続出場を誇る強豪校になり、力をつけ話題になるにしたがって私の応援にも熱が入るようになった。今ではこの時期一家で応援、娘二人はゴール地点の読売新聞東京本社前まで応援に行く熱の入れようである。

そして、今回総合優勝、学生駅伝3冠を成し遂げた。大八木監督、選手の皆さん、スタッフの方々に心からおめでとうを言いたい。